航空写真で見る千坂校下の変遷
千坂校下町会連合会は昭和40年に設立され、今年で50周年を迎えた。
町会連合会は昨年、50周年記念事業として50周年記念誌を発刊することとした。
その記念誌編集委員長を仰せつかり、現在、鋭意原稿の整理中である。
各町会長の皆さんに昔の写真があったら提出していただくよう依頼中ではあるが、掲載できる写真がまだ少数にとどまっている。
千坂校下の歴史をわかりやすく紹介するにはどのような方法が最も効果的なのか、あれこれ検討中ではあるが、航空写真があれば「百聞一見にしかず」ということで、北國新聞社に赴き検索していただいた。が、検索システムは新聞発行日のみの方法しかなく、千坂校下を収めた航空写真の収集は困難であることが判明した。
手をこまねいていても埒が開かないので、ネット検索を試みることにした。
検索ソースは国土地理院のデータベース。日本地図を拡大すると航空写真データを示すポイントがずらりと表示さる。その中から千坂校下が撮影されているデータを年代別に拾った結果、町連が設立された昭和40年の3年前に撮影されたものがあった。
記録によると、千木と百坂が併合して千坂小学校が建設されて町連が設立した経緯から、初期の町連会長は千木と百坂から交代で選出されたとある。
昭和37年の千坂校下 この年以降、千坂校下のインフラ整備が開始された この年、荒屋団地の1期分譲が行われた 千坂小学校は田園のど真ん中にある |
昭和48年 国道8号線バイパスや北陸自動車道の建設が急ピッチに展開されている |
昭和57年 幹線道路の骨格が完成した 国鉄北陸線東金沢・森本間上り貨物通路線建設工事中 疋田区画整理事業がようやく着手 |
平成11年 福久・荒屋区画整理事業が進捗し金沢サティ建設中 |
そして現在の姿がある |
このように、千坂校下の50年は膨大な資金が投下され活発に開発事業が実施された。
今年3月14日新幹線が開通し、現在、千木町地内で海側環状線工事が施工中であり、これが完成するとインフラ関係が全て整備されることになる。さらに発展する要素は十分に備わっている。
検索データの中に昭和21年に米軍が撮影した写真があった。鮮明な解像度に驚くばかりである。
昭和21年 撮影米軍 現在の変貌を誰が予想しえただろう |
50年記念誌にはこれらの写真で千坂校下の変遷を紹介したいと考えている。